埼玉県の川越市の近くに新しく設立される病院の看板のデザインをしました。10月31日に竣工だったので当日現地に行って撮影がてら実物を見てきました。自分がデザインしたものが現実に出来上がったのを見る瞬間というのは、デザイナーにとってどんなものでも毎回感激するのですが、今回はまた別の感慨があります。最寄りの駅から車で現地に向かう途中、遠くから自分がデザインした巨大な看板が目に飛び込んできた瞬間の感動は、僕は多分一生忘れないと思う。
過去に某ショッピングモールのロゴマークを作ったりしたことはことはありますが、今回の病院の看板は、間違いなく僕が今までデザインした中で一番大きいものです。何種類かの看板のデザインをしましたが、その中の一番大きいもので横11m縦4mというサイズなので、普段数ピクセル単位で仕事をしているのが馬鹿馬鹿しく思えてしまう大きさです。
この手の大きな看板のデザインをするということは、街の景観のデザインをすることに等しいので、非常にやりがいがあるのと同時にすごく責任が重いものです。特に病院というのはその街のランドマークになるような重要な建造物だし、名称変更などがなければ、それこそ何年何十年とその街の景観を形作ることになるので、下手なものを作る訳にはいかない。もし、この看板を普段なにげなく見上げていた人と将来どこかで出会ったりして、あの病院の看板は俺がデザインしたんだぜ、なんていう会話が出来たとしたら、すごく特別な体験になると思います。「目障りだった」とか言われたらヘコみますが...。
今回、医療の現場の人たちがデザインの必要を感じて、デザイナーである僕に仕事を発注してくれたという事実は、「デザイナーが医者よりも給料を多くもらう時代は来るのか?」なんていう文章を書いている自分にとってすごく嬉しいことだし、同時に溜飲の下がる思いでもあります。看板とパンフレットとウェブサイトの依頼がありましたが、こういう風に一つのプロジェクトにトータルでデザインの仕事に関われるのはデザイナーとしても大変嬉しいことで、本来あるべき姿だと思います。将来的に院内のサインデザインなんかもやっていきたいものです。
ともあれ、「医療行為は医者しか行うことができない」ということと同様、「プロのデザインはプロのデザイナーにしかできない」、という当たり前のことが早く世の中に浸透することを願うのみです。もしこの看板を街中で見かける機会があったら、落書きとかしないでそっと愛でてやってください。世の中に存在する無数の看板の一つ一つに、デザイナーの想いとか魂が込められているのです。
この手の大きな看板のデザインをするということは、街の景観のデザインをすることに等しいので、非常にやりがいがあるのと同時にすごく責任が重いものです。特に病院というのはその街のランドマークになるような重要な建造物だし、名称変更などがなければ、それこそ何年何十年とその街の景観を形作ることになるので、下手なものを作る訳にはいかない。もし、この看板を普段なにげなく見上げていた人と将来どこかで出会ったりして、あの病院の看板は俺がデザインしたんだぜ、なんていう会話が出来たとしたら、すごく特別な体験になると思います。「目障りだった」とか言われたらヘコみますが...。
見上げるとその大きさに圧倒された。
路上の案内看板もデザインした。街中の看板一つ一つにデザイナーの魂が籠もっているのである。
ともあれ、「医療行為は医者しか行うことができない」ということと同様、「プロのデザインはプロのデザイナーにしかできない」、という当たり前のことが早く世の中に浸透することを願うのみです。もしこの看板を街中で見かける機会があったら、落書きとかしないでそっと愛でてやってください。世の中に存在する無数の看板の一つ一つに、デザイナーの想いとか魂が込められているのです。
これは表現者にとってはうれしいですねー。
こういう仕事があるからデザイナーはやめられないっすね。